まずは平和学の基本文献から
2010-09-08


というか、私の専攻は安全保障論とか(軍事を含む)大戦略なのであるが、ここアサブロ(asahi-net)ではそういう戦争賛美のような文章を書くことが許されていない。

ただ、戦争論に対する平和論について偵察を行うのは極めてビジネスの思考に似合っているのではないか。某大学で「債務論」があるのに「債権論」がない、とか清水から逃げ出してしまったT大学みたいに「平和論」があっても「戦争論」がないとか、少し頭を柔軟にすればいくらでも一般大学でも軍事教育(戦前の旧制中学にあった軍事教練ではない)を行うことも可能である。

とはいえ、同じコインの表裏を「戦争」から見ているものはウヨクだの保守反動だの愛国だのとケチをつけられるが、「平和論」の名称で論じていればとりあえずその非難は回避できるという状況にある中で、「安全保障論]や「平和学」の名称の講義で実質戦史や日本が海上封鎖にどれだけ弱いかと行ったことが理解できる可能性が高まる。

さて、本来ならば早速ブログ主自身の「平和論」を開陳したいのだが、私自身は「安全第一」のような「平和第一」主義を取っていないので、本来は不向きである。それゆえに今日のエントリーは、簡単な文献目録を用意するに留めておく。ただこの目録は、平和学を専攻している先生にリストを教わったものではなく、地元の中央図書館で図書コード319.8の書籍を本棚から適当に選んだようなもので、本当の基礎文献が抜けている恐れがあることをここで付記したい。

★『はじめて出会う 平和学』未来はここからはじまる
児玉克哉・佐藤安信・中西久枝著 有斐閣刊(有斐閣アルマ)

バーバラ・ロガスキー『アンネ・フランクはなぜ殺されたか―ユダヤ人虐殺の記録』
岩波書店刊 1992年

ベルント・シラー『ユダヤ人を救った外交官―ラウル・ワレンバーグ』
明石書店刊 2001年

ヘンリ・ワルター『コルベ神父の生き方』
フリープレスサービス(星雲社刊) 1996年

レビン・ヒレル 『千畝――一万人の命を救った外交官杉原千畝の謎』
清水書院刊 1998年

大江健三郎 『ヒロシマ・ノート』
岩波新書 1965年

児玉克哉編 『世紀を超えて―爆心地復元運動とヒロシマの思想』
中国新聞社 1995年

ジョン・マーシー 『ヒロシマ(増補版)』
法政大学出版局 2003年

田城明 『現地ルポ 核超大国をゆく―アメリカ、ロシア、旧ソ連』
岩波書店 2003年

大久保泰甫 『ボワソナアド―日本近代法の父』(岩波新書)
岩波書店 1977年

峯陽一・畑中幸子編著 『憎悪から和解へ―地域紛争を考える』
京都大学学術出版局 2000年

朝日新聞社 『平和学がわかる』(アエラムック)
朝日新聞社 2002年

池尾靖志 『平和学をはじめる』
晃洋書房 2002年

岡本三夫・横山正樹編 『平和学の全体』
法律文化社 1999年

ヨハン・ガルトゥング、藤田明史編 『ガルトゥング平和学入門』
法律文化社 2003年

植田和弘・喜多川進監修 『循環型社会ハンドブック』
有斐閣 2001年

地球環境研究会編 『地球環境キーワード事典(四訂版)』
中央法規出版 2003年

戸崎純・横山正樹編 『環境を平和学する――「持続可能な開発」からサブシステンス志向へ』 法律文化社 2002年

野村卓史 『風車のある風景――風力発電を見に行こう』
出窓社 2002年

明石康ほか 『日本の領土問題』
自由国民社 2002年

赤根谷達雄・落合浩太郎編 『「新しい安全保障」論の視座――人間・環境・経済・情報』亜紀書房 2001年

児玉克哉、ホーカン・ウィベリー編 『新発想の防衛論――非攻撃的防御の展開』
大学教育出版 2001年

和田春樹 『北方領土問題――歴史と未来』
朝日新聞社 1999年

臼杵陽 『イスラムの近代を読みなおす』
毎日新聞社 2001年


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[文献目録]

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